仏滅だったから、悪いことが起きたのか?
自分は仏滅に悪いことがよく起きる。某月某日の日曜日は仏滅だった。この日は休みで、ブログの記事を少しまとめて書いておこうと、朝から張り切っていた。
カレンダーをみてこの日が「仏滅」とは知っていたが、予定は図書館へ行くのと、愛犬のシャンプー(入浴)することとブログ記事作成くらいしかなかったので、特になにもないだろうと安心をしていた時に悲劇が起きた。
それは、朝からブログ記事を作成していて、あと少しで完了というタイミングで、記事を誤操作により削除してしまった。
ブログ記事を一本書くのに、不慣れな自分はかなりの時間を要していたのに、わずか数秒のことで消えてしまった。
そこで、今回は「なぜ、私は仏滅に悪いことが起きるのか」考えてみた。本当は怒り・愚痴をここに書こうと思ったけど、虚しくなるだけなので、前向きに捉えて、「対仏滅策」を考えようと思うことにした。
六曜では他に「先勝」「友引」「先負」「赤口」の4つがあるが、これらの日に起きた「良いこと」と「悪いこと」に関しては何も覚えていない。
仏滅は本当に悪い日なのか?
人生、長く生きていれば「良いこと」もあれば「悪いこと」もある。そしてなぜか「大安」と「仏滅」だけは気にする人が多い気がする。平成の時代では、あまり気にしていない人も多いような気がする。
本当は自分でもよくわかっているが、子供の頃からの思い込みによる影響が大きと思う。簡単に考えると「大安」は「良い日」「仏滅」は「悪い日」と変に先入観をもってしまい、何か「良いこと」や「悪いこと」が起きた日を振り返ると「大安」と「仏滅」だったという印象が更に思い込みを助長させてようだ。
仏滅とは
『「仏も滅するような大凶日」の意味。元は「空亡」「虚亡」と言っていたが、これを全てが虚しいと解釈して「物滅」と呼ぶようになり、これに近年になって「佛(仏)」の字が当てられたものである。 この日は六曜の中で最も凶の日とされ、婚礼などの祝儀を忌む習慣がある。この日に結婚式を挙げる人は少ない。そのため仏滅には料金の割引を行う結婚式場もある。他の六曜は読みが複数あるが、仏滅は「ぶつめつ」としか読まれない。 字面から仏陀(釈迦)が入滅した(亡くなった)日と解釈されることが多いが、上述のように本来は無関係である。釈迦の死んだ日とされる2月15日が旧暦では必ず仏滅になるのは、偶然そうなっただけである。 「何事も遠慮する日、病めば長引く、仏事はよろしい」ともいわれる。 また『物滅』として「物が一旦滅び、新たに物事が始まる」とされ、「大安」よりも物事を始めるには良い日との解釈もある。』
(出典:Wikipedia 六曜・仏滅より)
仏滅を理由に自己弁護
自分でミスをしたり、めぐり合わせで悪い出来事が起きたりすることがある。そんな時の言い訳に「今日は仏滅だから仕方がない」と思うことで、逃避・納得することが多くあり、自分で勝手に仏滅を悪いことが起きる日と決めてしまったようだ。
対仏滅策は考え方次第
仏滅を「悪いことが起きる日」と勝手に思い込んでいるし、仏滅を理由にミスや悪い出来事が起きたことを正当化・納得している自分が一番問題だ。
冒頭のブログの消去話も、こまめに「下書き保存」を行えばよかっただけのとであれる。自分がそれをしないで消えてしまったことへの怒りを「仏滅」に八つ当たりした感じだ。
これからは、仏滅に悪いことが起きても、自分で防御・阻止できることはなかったか考え、自己反省をするようにしないと、また同じことが仏滅に起きたら、「やっぱり、仏滅だ!」なんて思わないようにしよう。
ブログの記事が一本消えたけど、消えた分は後日また書くとして、ブログが仏滅に消えたことで、記事が一本書けたといい方に気持ちを切り替えよう。
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